HISTORY

土木工学科60年の伝統を踏まえ、
現代社会の課題に答える新たな領域へ

  • 1902(明治35)年 早稲田大学開校
  • 1909(明治42)年 大学部理工科、機械学科、電気学科創設
  • 1943(昭和18)年 理工学部に土木工学科創設
  • 1963(昭和38)年 西大久保キャンパスに理工学部移転開始
  • 2003(平成15)年 土木工学科を社会環境工学科に改称
  • 2007(平成19)年 基幹理工、創造理工、先進理工の3学部・3研究科体制に
  • 2013(平成25)年 早大土木・社会環境工学科70周年

早稲田大学理工学部社会環境工学科は、昭和18年(1943)に理工学部9番目の学科である土木工学科として創設されました。明治42年(1909)、理工学部前身の理工科設立に際し、趣意書には設置予定6学科のなかに土木学科の名前は明記されていましたが、それに遅れること34年、第2次世界大戦のただなかにやっと創設をみることができました。

創設にあたって、大学当局から諮問を受けた建築学科の内藤多仲教授が東大土木工学科の田中豊教授らと相談し、教員の人選その他の準備が行われました。昭和18年(1943)9月、草間偉教授が初代学科主任となり、他に専任教員5名、非常勤講師3名をもって発足し、第1回生31名が入学しました。本土木工学科は我が国の大学では6番目の創立にあたり、私学では2番目でした。創立間もない昭和20年(1945)には敗戦による戦争終結を迎え、昭和21年(1946)4月の新学期からやっと正規の態勢になり、土木工学科の育ての親ともいえる青木楠男教授が専任として着任しました。青木教授は学科主任として土木工学科を指導し、教室全員が一致結束して早大土木工学科の基礎づくりが行われました。

創設当時から指導的な役割を担われた教授がすべて現役を退くまでの20年間が第1期の時代、その後早大土木で育った教授が主体を構成した30年間が第2期ともいえる時代をへて、土木工学科創設以来60年目を迎える2003年4月を期して、社会環境工学科に名称の変更を行いました。歴代の研究分野は、構造工学、水工学、都市計画、地盤工学に大別することができ、下記の教授陣が早稲田の土木工学分野を支えてこらえました。

構造工学系:青木楠男(橋梁)、村上博智(応用力学)、平嶋政治(構造力学)、神山一(コンクリート)、堀井健一郎(橋梁)、宮原玄(構造解析)、関博(コンクリート工学)、依田照彦(構造力学)、小泉淳(構造工学)、清宮理(設計工学)
水工学系:草間偉(上下水道)、米元卓介(河川)、米屋秀三(発電水力)、佐島秀夫(港湾)、吉川秀夫(河川、水理)、遠藤郁夫(汚濁制御工学)、鮏川登(応用水理学)
都市計画系:石川栄耀(都市計画)、松井達夫(都市計画)、大塚全一(都市計画)、浅野光行(交通計画)、中川義英(都市計画)
地盤工学系:後藤正司(土質力学)、窪田吾郎(土質試験法)、森麟(土質施工学)、濱田政則(地震防災工学)
交通系:廣瀬一郎(鉄道)、兵藤直吉(道路)、沼田政矩(鉄道・施工)

2003年4月に社会環境工学科に名称変更以降は、社会基盤部門、環境防災部門、計画・マネジメント部門、計12の研究室の体制となっています。